数学の本で感動!「フェルマーの最終定理」という本の予測を超える面白さを出来るだけ易しく説明
図書館で本を借りました。
「フェルマーの最終定理」という本です。
これが予想をはるかに超える面白さで驚きでした!
数学の本ですが、推理小説より面白いのです。
で、その面白さを伝えたくてこの文を書いているのですが、心配なことは・・・
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1.この単行本は2000年に初出なので、今更そんな古い話、と思われそう。
しかもこのことは当時テレビ番組(BBC-NHK)が制作されたそうだから見た人も多いだろうと思われる。
2.数学の本というだけで、興味無い、という人も多いかも。
3.数学に詳しい人には、「何を今更、分かったことを」と思われるかもしれない。
(もし数学的におかしな表現があったらすみません)
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というような心配があるのですが、それでもなお、書いてみたいと思います。
なお、この本の著者はサイモン・シンというインド系のイギリス人です。(1967年生まれ)
Contents
「数式が美しい」という表現
数学者の人たちは数式を形容する言葉として
「美しい」「優雅」「エレガント」などと呼ぶんですね。
「美しい数式」
「エレガントな数式」 と。
数字や数式を美しいと感じる人たちがいることにまず注目なのです。
「博士が愛した数式」という物語―映画もありましたね。
この400ぺ-ジに及ぶ分厚い本はそのような数学または数字の不思議について、書かれているからこそ面白いのです。
*筆者の個人的意見:「数式が美しい」という言葉の裏には「我々が生きている世界は、数式ほどには美しくない」という意味が含まれているように感じます。数学者たちは純粋な世界に憧れている人たちとも言えそうです。
「フェルマーの最終定理」のこと
さて、本のタイトル「フェルマーの最終定理」を軽く説明して、始めます。
フェルマーの最終定理(Fermat’s Last Theorem)とは、
xn + yn = zn
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない
というものです。
・
・
・
いやいや、これを見ただけで逃げ出さないでください。
このあと、面白くなりますから!
この定理はですね、1601年にフランスに生れた数学者 ピエール・ド・フェルマーが残した多くの定理のうち、その後3世紀以上にわたって、誰も証明できなかった最後の定理なのです。
ですから「最終定理」と呼ばれるようになったのです。
その上、人騒がせなフェルマーは
などと書き残しちゃってるのです。
300年以上の間に多くの数学者が、この命題を解こうと格闘したにもかかわらず、20世紀後半になっても、まだ未解決の問題だったのです。
数学もその他の学問も飛躍的に進歩し、20世紀後半に入ってからはコンピューターが発達したにも関わらずです。
多額の賞金が掛けられたこともあったのに、誰も解くことが出来なかったのです。
そして、20世紀も終わりに近づいた
1993年6月
アンドリュー・ワイルズという、イギリス人でアメリカに渡ってプリンストン大学の教授をしていた40代の数学者がイギリスのケンブリッジで講演を行いました。
3日間に渡る講演でした。6月23日最終日の講演を行い「フェルマーの最終定理」を解決したことを報告しました。
世界が驚いた瞬間だったのです。
ここから物語は始まります。
そして物語は一気に紀元前のピタゴラスの時代にさかのぼります。
数の不思議
ピタゴラスの時代に行く前に、数学、数の不思議または面白さの話に寄り道します。
全て、この本に書かれていることなのですが、それを筆者なりに易しく書いてみます。
⇒筆者が意図的に膨らませた部分が結構あります。リンゴの例えとか、特に「素数」の所はこの本には書いてないことを加えました。また「谷村予想」もWiki情報を加えました。
マイナスという数字
簡単な算数の話です。
5-3=2
当たり前ですね。
では
3-5 は?
これも算数を知っていれば小学生でも分かりますかね?
3-5=-2
でもちょっと待ってください。-2って何ですか?
マイナス? マイナスという概念が既に数の不思議の世界に足を突っ込んいるんですね。
子供に先ほどの5-3=2を説明するなら
「リンゴが5個あります。3個をみんなで食べました。あと何個残っているでしょう?」と聞くのでしょう。
🍎🍎🍎🍎🍎ー🍎🍎🍎=🍎🍎
分かり易いですね。しかし・・・
この説明では3-5のほうは説明が難しいですね。
3個のリンゴのうち5個を食べた?
大人なら借金という概念から想像できますね。
「3万円持っている時に5万円払えと言われた、足りないので不足の2万円を借金とした」
というように説明できます。
マイナスの話は尻切れトンボですがここまでにします。
無理数
無理数というのはどこまでも終わらない数のことです。(循環小数は除く)
(*無理数の定義は本当はもっと厳密ですが、そこは省略です。Wikipediaなど参照ください。)
一番有名な無理数は円周率(π 〈パイ〉)でしょう。
例の 3.1415926535・・・というヤツです。
何桁まで覚えたといってよくテレビなどで紹介されます。
しかし π は何故無理数なんでしょうか?
円の直径×π=円周
直径も円周も定まった数なのに何故 π はどこまでも近似値である無理数になってしまうのでしょうか?
その答えはこの本にもありませんでした。
(*江戸時代の和算家、関孝和は全く独自の計算方法で円周率を11桁まで正確に求めたと、藤原正彦氏の著書「天才の栄光と挫折」に書いてあるのですが、関孝和は円周率が無理数であることに気づいていたのでしょうか?)
ただ面白い話として
πはランダムな数字の羅列に見えるのですが、実は美しい性質があり、次のような規則的な表現ができるというのです。
π=4{(1/1)-(1/3)+(1/5)-(1/7)+(1/9)-(1/11)+(1/13)-(1/15)+・・・・・}
こうして、πはどこまでも計算され1996年に東京大学の金田康正が少数点以下60億桁まで求めたそうです。金田はさらに1999年に小数点以下687億桁まで達成したという。
こうなると何だか余り意味のある事とも思えなくなる面と、スーパーコンピューターが存在する現在では単に計算速度の問題と思えてしまいます。
◎2の平方根 (ルート2)なんかも身近な無理数ですね。
【 が無理数であることのエウクレイデスの証明】が巻末、補遺に書いてあるのですが、背理法を使ったその証明方法は、驚きです。
素数
数学、数字の本などで必ず出てくる「数字の不思議」に、素数があります。
素数とは 1か自分自身以外では割れない数のことです。
2,3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,・・・・・というやつです。
(2以外は当然奇数になります) 素因数分解というのを習いましたね。
そして、不思議なのはこの素数もまた無限であるということです。
12673 が素数であるといわれてもにわかにには信じられない気がします。
それどころか、 30808063 が素数、 3710369067405 も素数とは驚きです。
では、現在分かっている最大の素数はというと・・・
2017年5月現在で知られている最大の素数は、2016年1月(去年です!)に発見された、それまでに分かっている中で49番目のメルセンヌ素数 274207281 − 1 であり、十進法で表記したときの桁数は2233万8618桁に及ぶ。ーーーーーWikipedia
*メルセンヌ素数とは 2n − 1(n は素数が必要、n = 2, 3, 5, 7, 13, …74207281, …)
だそうです。
素数が無限であることは上のメルセンヌ素数の式を見れば、何となく想像できますね。
何しろ新しい素数が分かっても、それを式の n に代入すれば新しい素数が出来てしまうわけですから。
パズルのような数字の問題
この本で紹介されているパズルのような話も紹介したいと思います。
ギリシャの大数学者ディオファントスに関わる話です。
ディオファントスは生年も没年も不明で、その生きた時代は紀元前150年から西暦364年まで何と500年もの幅があるそうなのです。
その墓碑銘には次のように書かれているそうです。この墓碑銘からディオファントスの生きた年数を求めよ、というのが問題です。
このみ墓にディオファントスの眠りたもう。ああ、偉大なる人よ。
その生涯の六分の一をわらべとして過ごされ、十二分の一の歳月の後には
ほぼ一面にひげがはえそろい、その後七分の一にして華燭の典をあげたまう。
結婚ののち五年にして、ひとり息子を授かりぬ。ああ、不幸なる子よ!
父の全生涯の半分でこの世から去ろうとは! 父、ディオファントス
四年のあいだ数の学問にてその悲しみをまぎらわせ、ついにその生涯を閉じたまう。
答えは次のようになります。
ディオファントスの生涯をL年とする。
その生涯の1/6 すなわちL/6は子供時代であった。
L/12は青春時代であった。
それから結婚するまでにL/7の期間があった。
結婚してから5年後にひとり息子が生まれた。
その息子の生涯はL/2であった。
4年間悲しんだ後ディオファントスは死んだ。ディオファントスの生涯は以上の和である。
L=L/6+L/12+L/6+5+L/2+4この式を整理すると
L=25/28 L +9
3/28 L=9
L=28/3×9=84つまりディオファントスは、84歳で死んだのである。
これはちょっと脇道に逸れすぎた話でした。
26という数の不思議ーーフェルマーが発見した法則の一つ
この文の主人公はフェルマーとアンドリュー・ワイルズの二人ですが、
そのフェルマーが発見した一例として26という数字の問題を取り上げます。
*26は25と27に挟まれているのですが、
不思議なことは
25=52
27=33
このように二乗数と三乗数に挟まれた数は26だけであることを、
フェルマーは証明したそうです。
どうやって証明したのか、想像もつきません。
ピタゴラスの定理
本題に戻りましょう。
フェルマーの最終定理でした。
もう一度
xn + yn = zn
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない
この式は n が2より大きい場合には整数解がないと言っています。
*この時 n は無限に続く数であることに注目です。
つまりある特定のnのケース(例えばn=4)を証明しても、全体を証明したことにはならないということです。
◎では、 n が2の場合はどうでしょうか?
それはみなさんご存知のピタゴラスの定理になります。
ピタゴラス(ピュタゴラス)は紀元前6世紀の人なのです。
⇩
このピタゴラスの定理は当然正しいことが証明されています。
この本でもその証明が書かれています。
Wikipediaにも、その証明が書かれていますので興味ある方はご覧ください。
それが、何故 n(3以上) になると証明されないのでしょうか?
こんな簡単な数式が300年以上にわたって、数学界の最難問として残っていて、
もはやこのフェルマーの最終定理そのものを解くことは意味がないという意見まで出るようになっていたのです。
最初に書いたアンドリュー・ワイルズは10歳の時に図書館でこの問題に出会い、その後30年の間忘れたことはなく、1993年の発表の前7年間はこの問題を解くことに専念したのです。
この問題を解くことがいかに難しいことであったかが、この本で書かれているのですが、
それを簡略にうまく書くことは私には到底できません。
ですから断片的なエピソードを読み物風に書くことで紹介しているわけです。
オイラーの予想
1707年にスイスに生れたレオンハルト・オイラーが残した数々の数学上の業績が詳しく書かれているのですが、全部省略です。
ただオイラーもフェルマーの最終定理に取り組んだことだけを書きます。
そして「オイラーの予想」というものを残しました。
(数学ではまだ「証明」されていないものは「予想」と呼ばれます。
フェルマーの最終定理も「フェルマー予想」と呼ばれていました)
◆オイラーの予想
フェルマーの最終定理を拡張して、
- x4 + y4 + z4 = w4
を満たす自然数の解 (x, y, z, w) は存在しない。
数を4個に増やし、4乗とした数式です。
これもフェルマー~と同様に難問だと思われます。
200年の間オイラー予想も解かれませんでした。
しかし、驚くべきことに、1988年にハーバード大学のノーム・エルキースが次の解を見つけたのです。
2682440⁴+15365639⁴+18796760⁴=20615673⁴
こうしてオイラー予想は成り立たないことが示されたのです。
いやー、参りますね。
こんなことがあるから、フェルマーの最終定理だってどんな運命になるか分からないのです。
コーヒーブレイク
◎このあとアンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理を解いた発表までの道のりを簡単に書くつもりです。(数学的に書くことは私にはできませんから、エピソードを書くだけです)
この命題を解くことは、過去の数学の遺産を総動員したものだったことが分かるのです。
その中に日本人の名前も出てきます。
特に重要なのが「谷山=志村予想」 です。
◎そしてまた大変なのは、発表した後の審査とスッタモンダでした。
そのあたりまで続けて書きたいと思います。
◎この本は全体が8章からなっているのですが、ここまで書いたことは半分の4章までに書いてあることです。
◎第4章で、「公理」という重要な概念が語られていますが、これは省略します。
公理とは簡単に言えば m+n=n+m というような自明と思われることです。
その公理もまた確認、証明の対象となります。
数学というものがいかに厳密な確認作業の積み重ねで成り立っているかを、理解する章です。
◎そして残りの4章がいよいよ本題のワイルズによる「フェルマーの最終定理」の証明過程の記述です。
第5章 背理法
この章は次の言葉で始められます。
画家や詩人の作るパターンが美しいように、数学者の作るパターンも美しくなければならない。
色や言葉と同様に、数学の概念は調和していなければならない。
美しさこそは第一の試金石である。醜い数学に永住の地はない。
ーーーーーーーーーーーーーーーG.H.ハーディ
◆この章のタイトルの背理法とは
言葉で簡単に言えば以下のようになります。
「ある事象Aを正しい」と仮定する。
それを数学的に運用して、ある論理を推し進める。
その時、正しいことが証明されている事象と矛盾する結果になる。
そうであれば、最初の「Aは正しい」という仮定が間違いだったことになる。
あるいは、矛盾がない結果であれば、最初の仮定は正しい可能性があることになる。
谷山=志村予想
ここで二人の日本人数学者の名前が登場します。谷山豊(1927年生まれ)と志村五郎(1930年生まれ)です。
2人の数学的業績を説明することは私にはできません。
2人は東京大学で出会います。そして谷山がリードし、志村が協力、補強するような形である理論を追及し発表しました。
1955年日光で行われた国際シンポジウムで谷山が発表した理論は一応次のように表現されています。
(さっぱり分かりませんが、分からないという意味で書いておきます)
「ある楕円方程式のE系列は、おそらくどれかの保型形式のM系列になっているのではないか」
この理論(予想)は余りにも突飛に聞こえ、懐疑的にみられます。
しかし、この説を信じ、谷山の仮説を発展させようとしたのが、志村でした。
しかし予想外の事が起きます。志村がプリンストン大学に招かれ、客員教授を務めていた1958年、谷山が31歳で謎の自殺を遂げます。きちんとした遺書も残されていたそうです。不思議なのはその年の年末には婚約者と結婚の予定だったそうなのです。女性の名前まで書いてあります。そしてその婚約者だった女性も後追い自殺をしたということです。
志村は今も健在です。
その理論は「谷山=志村予想」と呼ばれるようになります。
ハーバード大学教授、バリー・メーザーは次のように書いています。
「見事な予想でした。どの楕円方程式にも一つのモジュラー形式が不随しているというのですから。
しかし、初めのうちは無視されていました。余りにも時代に先駆けていたからです。まさに仰天するような理論だったのです」
*谷山豊予想の概略はWikipediaにも書いてあります。
こうなってます。^^↓
問題12 {\displaystyle C}を代数体{\displaystyle k}上で定義された楕円曲線とし{\displaystyle k}上{\displaystyle C}の L函数を{\displaystyle L_{c}(s)}とかく:
- {\displaystyle \zeta _{c}(s)={\zeta _{k}(s)\zeta _{k}(s-1) \over L_{c}(s)}}
は、{\displaystyle k}上{\displaystyle C}のzeta函数である。もしHasseの予想が{\displaystyle \zeta _{c}(s)}に対して正しいとすれば、{\displaystyle L_{c}(s)}よりMellin逆変換で得られるFourier級数は特別な形の-2次元のautomorphic formでなければならない。(cf.Hecke) もしそうであれば、この形式はそのautomorphic functionの体の楕円微分となることは非常に確からしい。
さて、{\displaystyle C}に対するHasseの予想の証明は上のような考察を逆にたどって、{\displaystyle L_{c}(s)}が得られるような適当なautomorphic formを見出すことによって可能であろうか。 (谷山豊)
問題13 問題12に関連して、次のようなことが考えられる。Stufe {\displaystyle N}の楕円モジュラー関数体を特徴づけること。 特に、この関数体のJacobi多様体をisogenousの意味で単純成分に分解すること。また{\displaystyle N=q=}素数、かつ {\displaystyle q\equiv 3(\mod 4)}ならば、{\displaystyle J}が虚数乗法を持つ楕円曲線を含むことはよく知られているが、 一般の{\displaystyle N}についてはどうであろうか。(谷山豊)
何だか分からないけどすごいですね~。
谷山の予想は「どうであろうか?」という問いかけになっていますね。
谷山=志村予想とフェルマーの最終定理
1984年、ドイツの数学者ゲルハルト・フライが「谷山=志村予想を証明することは、フェルマーの最終定理の証明に繋がる」という主張をした。
その数理論は省略しますが、言葉で書くと以下のようになるのです。
(1)もしもフェルマーの最終定理が成り立たなければ(そしてその場合に限り)フライの楕円方程式が存在する。
(2)フライの楕円方程式はきわめて異常な性質をもつので、モジュラーではあり得ない。
(3)谷山=志村予想によると、すべての楕円方程式はモジュラーでなければならない。
(4)ゆえに、谷山=志村予想はなりたたない。
そしてもっと大事なのは、このフライ理論は逆転させられるということだ。
⇩
(1)もしも谷山=志村予想が証明されれば、すべての楕円方程式はモジュラーでなければならない。
(2)もしもすべての楕円方程式がモジュラーなら、フライの楕円方程式は存在しえない。
(3)フライの楕円方程式が存在しなければ、フェルマーの方程式は解をもたない。
(4)よってフェルマーの最終定理は成り立つ!
つまり、フライの結論は
「もしも谷山=志村予想が証明できれば、自動的にフェルマーの最終定理を証明したことになる」
というとんでもない着地でした。
ここでカリフォルニア大学バークレー校のケン・リベットがフライの楕円方程式がモジュラーでないことを証明する。
そして、背理法により次のように結論付けます。
フェルマーの最終定理が成り立つことを証明するには、まず最終定理が成り立たないと仮定する。
そうすると谷山=志村予想も成り立たないことになる。
しかし、もし谷山=志村予想が成り立つことが証明されれば、フェルマーの最終定理が成り立たないという仮定に矛盾する。したがってその場合には、フェルマーの最終定理も成り立たなければならない。
ここ、よろしいでしょうか?
しかし、肝心の谷山=志村予想が成り立つことの証明は不可能と考えている数学者が大多数でした。
しかし、この予想を証明できると考えた無謀な人間の一人が、アンドリュー・ワイルズだったのです。
*志村 五郎は 2019年5月3日に89歳で亡くなりました。
このフェルマーの最終定理を解くのに谷山=志村予想をはじめ、後でワイルズの文中に出てくる岩澤理論など日本人が大きな役割を果たしたことは特筆すべきことです。
第6章 秘密の計算
6章では、ワイルズの格闘の序盤が描かれます。
その中で大きなスペースを割いているのは、19世紀のフランス人数学者ガロアについてです。
その数学上の業績と若くして(たったの20歳)決闘で殺された悲劇的人生を描いています。
勿論ガロアのことを書くのはそれがフェルマーの最終定理と関係があるからです。
無限との闘い
フェルマーの最終定理の n は無限に続く数でありこと。それを証明しなければならないことを書きました。
そこで、ワイルズが考えたのは帰納法という強力な証明方法でした。
たとえばある命題がすべての自然数について真であることを証明したいとしよう。
第1段階では、その命題が1について真であることを証明する。
次の段階では、その命題が1について成り立つのなら2についても成り立ち、2について成り立つのなら3についても成り立ち、3について成り立つのなら4についても成り立つ・・・と、どこまでも続くことを証明する。
つまり一般に、ある命題がnについて成り立つのならば、n+1 についても成り立つことを証明するのである。
帰納法とはドミノ倒しのようなもの、と書いてあります。無限に続くドミノ倒しだと。
最初の一つの場合を証明するだけで、無限に続くすべての場合を証明してしまえるというマジックのような方法です。
その方法のヒントをワイルズはガロア(1811-1832)の仕事の中から見つけたのです。
第7章 小さな問題点
初めに戻ります。
1993年6月、ケンブリッジでの講演でアンドリュー・ワイルズが「フェルマーの最終定理」を証明したとのニュースが数学界に衝撃を走らせました。
しかし、これが終わりではないのです。
ワイルズの証明は他の数学者たちによって検証され、その理論が正しいことを確認する作業を経て、公式に論文として発表される必要がありました。
アンドリュー・ワイルズは、その作業にあと1年と4か月を費やすことになるのです。
「検証」は通例だと2,3人のレフェリーによってなされるのですが、今回は古代から現代までのさまざまなテクニックが使われていたため、特別に6人のレフェリーが選出されることになりました。
◎その過程で「ワイルズの証明に欠陥か?」という憶測が流れ始めます。
このあたりから情報は電子メールによって数学者の間を飛び交うようになります。
憶測の嵐の中、アンドリュー・ワイルズも沈黙を守るわけにはいかないようになり、1993年12月に次のような電子メールを数学関係の掲示板に載せます。
この文もまた難しすぎて理解不能なのですが、「いかに難しいこと」をやっていたのか、という意味で、そのメール文を引用します。
題:フェルマーの現状
日付:1993年12月4日
谷山=志村予想とフェルマーの最終定理に関する私の研究についていろいろと憶測があるようなので、現状を簡単に説明します。
査読の仮定でいくつかの問題が現れ、そのほとんどは解決されましたが、一つだけまだ解決されないものがあります。谷山=志村予想(のほとんどの場合)を、セルマー群の計算に還元する基本的な部分は正しいのですが、(モジュラー形式に付随する対称平方表現に関する)半安定の場合でセルマー群の元の正確な上限を計算する最終段階が完全ではありません。
しかしケンブリッジでの講演で説明したアイディアを使うことによって、近い将来にこの問題を解決できると信じています。
論文の原稿にはまだやるべきことが多く残されているため、プレプリントとして発表する段階には到っていません。2月に始まるプリンストン大学での講義で、この研究に関する完全な説明をするつもりです。アンドリュー・ワイルズ
ワイルズの苦闘は続きます。
ワイルズが一度は諦めかけたことさえ、書いてあります。「これ以上続けることに意味を見いだせなくなった」と新たに加わった共同研究者リチャード・テイラー(ケンブリッジ大学講師)に話したと。
◎おわりは近いので先を急ぎます。
ワイルズは負けを認めようという気持ちになっていた。
せめてもの慰めに、ワイルズは何故失敗したのかを知りたかった。
ケンブリッジでの講演から14か月ほどが経ったある日のことーーワイルズに閃きが訪れた朝のことがーー以下のように書かれています。
ある月曜日の朝、そう、9月19日のことです。
私は机に向かってコリヴァギン=フラッハ法を吟味していました。
この方法が生かせるとは思っていませんでしたが、少なくとも何故だめなのかは説明できるだろうと。
(中略)すると突然、まったく不意に、信じられないような閃きがありました。
コリヴァギン=フラッハ法は完全ではないけれど、これさえあれば、最初考えていた岩澤理論が使えることに気付いたのです。コリヴァギン=フラッハ法があれば、3年前に考えていたアプローチが使える。
それはまるで、コリヴァギン=フラッハの灰の中から真の答えが立ち上がったようでした。
そして1994年12月、2つの論文が発表されました。
「モジュラー楕円曲線とフェルマーの最終定理」アンドリュー・ワイルズ著
「ある種のヘッケ環の理論的性質」リチャード・テイラー、アンドリュー・ワイルズ共著
この論文によって、ついにフェルマーの最終定理が証明されたことが正式に認定されました。
徹底的な吟味ののち2つの論文は「アナルズ・オブ・マセマティクス」に掲載され、ワイルズはニューヨークタイムズ紙の1面を飾りました。
第8章 数学の大統一
この最終章に書いてあることはほとんど省略します。
ただ3つのことがらについて書きます。
1.われわれ凡人は「フェルマーの最終定理」が証明されたと言っても、それがどうしたの?
実生活にどんな影響があるの? と思いがちですよね。
この最終章のタイトルのように、この証明によって数学という学問が深いところで統一された(らしいのです)
言い換えれば、数学がワンステップ高い次元に上がり、より高いところから世界を見れるようになった(ということのようです)---われわれの生活にすぐに影響が出るというわけではないようですが。
2.数学者でも、理解できるのはほんの少数という難問だったということ。
ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明にしても、理論を完全に理解できる者は数論研究者の10%にも満たないだろう。それでも100%の数論研究者がその正しさを認めているのである。
証明を理解できない者も納得しているのは、しかるべき人たちが吟味にあたり、証明に折り紙をつけたからだ。
3.そして最後はアンドリュー・ワイルズの言葉
大人になってからも子供のころからの夢を追い続けることが出来たのは、非常に恵まれていたと思います。
これがめったにない幸運だということはわかっています。
しかし、人はだれしも、自分にとって大きな何かに本気で取り組むことが出来れば、想像を絶する収穫を手にすることができるのではないでしょうか。
この問題を解いてしまったことで、喪失感はありますが、それと同時に大きな解放感を味わってもいるのです。
8年間というもの、私の頭はこの問題のことでいっぱいでしたーーー文字どおり朝から晩までこのことばかりを考えていました。8年というのは一つのことを考えるには長い時間です。
しかし、長きにわたった波乱の旅もこれで終わりました。いまは穏やかな気持ちです。
このワイルズの最後の言葉は感動的です。
おわりに
◎この難解な問題を、一般の人に分かるように、このような物語に書き上げた、著者サイモン・シンの筆力に脱帽です。
小説を読むようにスラスラと楽しんで読める物語になっているのです。(翻訳者の力もあるでしょう)
若い(1967年生まれ)インド人サイモン・シンは数学ではなく、物理学出身だそうです。
◎翻訳者の青木薫(女性です)も「訳者あとがき」で書いていますがーーーー
・この様な本では、えてして軽視されがちな日本人研究者の業績とその背景までが生き生きと描かれている。
・また女性研究者のことについても同様である。
青木さんは著者がインド人であることが関係あるかもしれない、と書いています。
◆最後まで付き合って下さってありがとうどざいます。
ここまでたどり着いたあなたーーあなたはすごいです!。^^
★Special Thanks★
この本は理系、文系に関係なく楽しく読める本になっています。
【何よりドラマティックで面白い】のです!
*同著者の「宇宙創生」⇨ についても書いています。