村上春樹「騎士団長殺し」の第2部での「南京虐殺」の記述は不適切だ
はじめに
村上春樹の新作長編「騎士団長殺し」をおおむね楽しみながら読んでいます。
主人公が36歳の画家であり、その作品制作過程などがいかにもそうなのだろうなと思わせる巧みさで描かれていて感心しています。この辺りは実際に絵を描く人に取材しているのかと思わせるほどです。
またミステリー小説を読むような仕掛け方も巧いなと思いながら読んでいます。
第1部「イデア編」を読み終え、第2部「メタファー編」に入りました。
そこで問題の箇所に至りました。
南京虐殺についての記述
第2部 81Pです。
その前に要点を整理します。
・主人公が今借りて住んでいるのは日本画の大家である雨田具彦の家である。(具彦はすっかり老いて施設に入っている)
・その屋根裏部屋から「騎士団長殺し」と題された絵を発見する。
・一方主人公は隣人(といっても山一つ向こうなのだが)の免色(めんしき)という謎の多い男から肖像画を依頼される。(高額の報酬で)
・免色の肖像画を描いた後、引き続きある少女の肖像画を描くことを依頼される。
・雨田具彦は日本画家に転向する前ウィーンに留学していた。
時代はナチスによるオーストリア侵攻、アンシュルス(独墺合併)の時だった。
・雨田具彦には継彦という弟がいた。当時(1937年)20歳で東京音楽学校(今の東京藝大)でピアノを学んでいた。
ところが手続上の間違いで徴兵され、南京攻略戦に一兵卒として加わっていた。
・雨田継彦は翌年(1938年)除隊され学校に戻ったが、復学して間もなく屋根裏部屋で手首を切って自殺している。
大体以上のような設定になっています。
で、問題のP81ですが免色から主人公に電話があります。
免色は雨田具彦の昔のことなどを色々と調べています。
新しく分かったことがあると言って電話をかけてくるのです。
引用します。
その年(1937年)の十二月に何があったか?
「南京入城」と私は言った。「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占領し、そこで大量の殺人が行われました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。」
一読して、村上春樹ともあろうものが粗雑な文章を書いたものだと思いました。小説の一登場人物、免色の発言という設定だとしてもです。
基本的に小説家はフィクションの中では何をどのように書こうと自由です。
しかし、このように歴史的事実に言及する場合、もっと慎重であるべきです。
上記引用文を、歴史を余り知らない若い読者が読んだ場合、免色の発言をそのまま「正しいこと」と受け取る可能性が強いことに注意すべきです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎この本は初版だけですでに130万部売れています。
そして、将来的にはもっと売れ、また多数の言語に翻訳されて、世界の50ヶ国以上の国で読まれることを著者は自覚しているはずです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
特に「南京事件」のような微妙であり、ねつ造や噂に類する情報が多いことがらを書く場合、このように軽々しく、あたかも事実のように書くべきではありません。
殺人、殺人と繰り返している書きかたも問題です。戦闘行為と殺人は違います。春樹氏は免色氏の言葉として民間人の虐殺があったことを規定事実としてしまっています。
引用文の中でも「細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが」と断っていますが、その認識があるならこのように断定的に書くべきではありません。
特に数の問題は重要です。
中国人死者の数が40万人という説は筆者は初めて聞きました。
*広島、長崎の原爆での直接の死者数でも合わせて23万人だったと思います。40万という数字がどれほど突飛なものであるか、著者なら分るはずです。こんな数字を書くことが信じられません。
中国の見解でも最大30万人という数だったと記憶しています。
当時の南京市の人口が20万人程度であり、20万を超える数はあり得ないという説が有力だと言われています。
それどころか、そもそも南京虐殺はなかったという説もあるのです。
(何人殺せば「虐殺」になるのでしょうか?)
しかも村上春樹は暗にナチによるホロコーストと関連付けるような書きかたをしています。
これは問題表現です。
このような書きかたはすべきでなかったと思います。
Amazonのこの本のレヴューに
「南京大虐殺はあったんだ!」と主張したいなら、ちゃんと調べて書けばいい
フィクションだから、架空のキャラが作中で言ったことだからという予防線で逃げ道を作って根拠のない風説を流布するのは歴史に誠実じゃないし、こんな形で作品を汚したのは失望した。
と書いている方がいますが、全く同意見です。
ここを読んだあと
せっかく小説を楽しんでいた私は一気にしらけてしまいました。
このような軽率な、あるいは安易なことを書く小説家の本を読んでいるのかとがっかりしました。
しかし、気を取り直して続きを読むことにしました。
ところがまたこのことが蒸し返されます。
南京虐殺の細部について
雨田具彦の息子であり主人公の学生時代からの友人、雨田政彦(今の家に住むことを勧めてくれた人)との会話でまた南京虐殺の話になります。
政彦から電話があり、主人公は東京まで出かけ政彦に会い食事をする。その時の会話です。
政彦にとっては叔父にあたる具彦の弟、継彦の自殺の件を主人公がもちだすのです。
遺書があったという。そこには南京で経験したことが生々しく克明に書かれていたという。
(筆者注:ここで筆者はこの話には或いは取材に基づいた、実際の事実があった可能性も考えました。しかしたとえそうであっても、それは一事例であり、南京事件の全貌を伝える「事実」とは言えないと思いました)
また引用します。継彦叔父の遺書の中身について、政彦が語る部分です。
P97
「これまで日本刀なんて手にしたこともない。なにしろピアニストだからね。複雑な楽譜は読めても、人斬り包丁の使い方なんて何一つ知らない。しかし上官に日本刀を手渡されて、これで捕虜の首を切れと命令されるんだ。(中略)
殺し方は銃剣で刺すか、軍刀で首をはねるか、そのどちらかだ。(中略)
屍体はまとめて揚子江に流す。揚子江にはたくさんのナマズがいて、それを片端から食べてくれる。真偽のほどはわからないが話によれば、そのおかげで当時の揚子江には子馬くらいの大きさに肥えたナマズがいたそうだ。」
これもまた恣意的な書きかたと言わざるを得ないと感じました。
継彦叔父自殺の理由を説明したい文章なのでしょうが、中国的大げさ表現の「子馬ほどに太ったナマズ」のことなど書く必要があったでしょうか。
「真偽のほどはわからないが話によれば」という表現が虚しく響きます。
まとめ
村上春樹は何を書きたいのでしょうか?
何となく分かるような気もします。ヒューマニズム?
自ら頑なに否定し「脳減る賞」と揶揄している賞が欲しくなったのか?と勘繰りたくなります。
かって村上春樹はディタッチメントの作家と言われていました。
それが1995年(阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の年です)以降
コミットメントの作家に変貌したと言われています。というか村上本人が書いています。