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映画「ドライブ・マイ・カー」感想:村上春樹の原作小説を通じて濱口竜介監督たちが伝えたいもの(ネタバレあり)

 
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団塊世代ど真ん中です。 定年退職してからアルト・サックスを始めました。 プロのジャズサックス奏者に習っています。 (高校時代にブラスバンドでしたけど当時は自分の楽器を持っていませんでしたので、それっきりになりました) 主にジャズについて自由に書いています。 独断偏見お許しください。

*キャッチ画像ほか特記無き画像は映画公式HPより引用

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やっと映画「ドライブ・マイ・カー」を劇場で観ました。

この映画余り期待しないで観に行きました。
その期待よりはるかによかったことを最初に告白しておきます。

★★★★☆ (星4.5) です。

*映画が始まって三分の一くらい経って、タイトルとキャスト&スタッフ表示されることが斬新でした。

小説と映画の異なる点

冒頭、家福(西島秀俊)と妻、音(霧島れいか)のシーン。
セックスの後、裸で音が物語を語るシーンから始まりました。

その語られる話ーー前世ではやつめうなぎ・・・・・・(!)だった女子高生が好きな男子の家に留守中に忍び込む話は、確かにディテールまで記憶にあったことです。

でもそれは小説「ドライブ・マイ・カー」ではなくて、「ドライブ・マイ・カー」が入った短編集「女のいない男たち」の中に入っている別の短編「シエラザード」に書かれていたことでした。「ああ、そんな風に作るのか」と思いました。

小説と映画は細かい点も大きなストーリーにもたくさんの違いがありました。

細かい点では例えば「黄色のサーブ900コンバーティブル→赤のサーブ900Turbo」のように。

引用先:https://twitter.com/drivemycar_mv/status/1413306480900460547

 

しかしそれをいちいち書くとウザイでしょうから、必要がある時だけ原作との違いに触れます。

ところで

家福かふく おと →家福音いえふくいん 
確かに宗教的過ぎる。これも原作には無い事。原作では死んだ妻に名前はない。

余談:音はsound の意味の普通名詞なら「おと」と平板に発音しますが、名前・固有名詞だと「と」と発音しますね。筆者の明治生まれの祖母がおと(於兎)という名前でした。

西島秀俊は原作からも違和感のない適役だと思います。

みさきのこと

みさき役、三浦透子が素晴らしい。キャスティングが大成功。これほどみさき役に適している人はいないでしょう。

みさき:23歳の女性。車の運転がうまい(女性としては、ではなく単純にうまい)。タバコを吸う。顔に傷がある・・・

この映画、モノでは車とタバコがまるで主役のようでした。車で走るたくさんのシ-ン、運転席から見る前方の景色が効果的でした。
無性に車の中でタバコが吸いたくなりました。(帰途、実際に吸いました^^)

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高槻のこと

映画で高槻を演じるのが岡田将生と知った時、「ちょっとイメージが違うな、第一若すぎる」と思いました。

しかし、高槻はいずれにしろ脇役、誰が演っても大差はないと考えました。

少なくとも小説を読む限りではそうだった。

しかし映画では高槻の役は大変重要な役になっていたし、その存在感も大きなものになっていました。共演した女優とすぐ寝てしまう男。しかしそれだけではない。音からやつめうなぎの後日譚まで聞いている男。

その暴力性について、同小説集の中の「木野」を感じる人もいるかもしれないですが、筆者はそれ以上に昔の村上春樹の長編「ダンス・ダンス・ダンス」の五反田君を思い起こしました。(高槻と五反田君はどちらもハンサムな俳優だし)
*「ハンサム」という言葉を古いと思った方。ちゃんと原作にハンサムと出てきます。まさかイケメンとは書けないし、美男子ではそれこそ古すぎる。

多言語演劇としての『ヴァ―ニャ伯父』(手話まである):本当にそのような演劇があるのでしょうか?無いとしたらどこから発想したのでしょうか。

上十二滝村

(原作では上十二滝町・原作雑誌発表時には実在の町名だったが、そこからのクレームがありこの架空の町名となった。クレームの理由は車の窓からタバコをポイ捨てすることをそこでは常識なのだろうと書いたから) 映画では町→村に変える必要があった訳です。

この映画3時間と言う長さを長いとは思いませんでした。

しかし、やはりやや冗長という声は上がるでしょう。

原作にはなかった北海道の上十二滝村まで行くことは映画としては必要なことだったのでしょう。

上十二滝村の雪景色の中で、みさきと家福が話します。(それまでに比べれば饒舌になります)

みさきは死んだ母について語ります。母のことと母との関係。母を自分が間接的に殺したと。

続けてみさきは家福に尋ねます。

死んだ妻、音について「全てを本当として捉えることは難しいですか?」 と。

「家福さんを本当に愛していたのと同時に他の異性を真剣に求めたことも、私は何の矛盾も嘘もないように思える」と。

このセリフはみさきのような経験を持った女性だから言えた言葉なのでしょう。

家福は言う「僕は正しく傷つくべきだったんだ、本当をやり過ごしてしまった・・・」

*ちなみにみさきの母と音の死に方が双方とも原作と違いました。

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映画の終わり方

映画が終わりに近づいたころ、まさか『ヴァ―ニャ伯父』の公演が終わり、拍手喝采で終わるのではないかと心配しました。

しかしちゃんと次のシーンがありました。韓国のシーンです。

みさきが運転しているのは赤いサーブだった。ナンバープレートだけが韓国のものに変わっていました。

おそらく家福から譲り受けたのでしょう。犬も乗っていましたから、演劇に関わったあの韓国人夫婦のところで暮らしているのではないでしょうか。

そしてみさきも周りの人もみんなマスクをしていました。

運転するみさきの顔に初めて浮かぶ微笑。・・・・

まとめ

この映画、文句を言おうとすればいくつもあるでしょう。

・まず冗長ということ。それはどうしても言われるでしょう。
アカデミー賞作品賞を獲るほどには娯楽的ではなかったと^^

・繰り返しですが上十二滝村での家福の叫び「音に会いたい!」とそれに続く「帰って来てほしい」などのセリフは過剰だったと思います。そこまで家福に喋らせなくても良かったのでは、と思います。

・上記シーンもそうなのですが、作家村上春樹の書きたいこと、を解釈し説明しているように感じました。親切とも言えるほど説明し過ぎていると感じました。
もっともそれは原作を読んでいるから感じることで、映画だけを観る人は(それほど)感じないでしょう。

*余談ですが、村上春樹の小説は読み終わって謎が残ることが多いのです。一体何を意味して、何を伝えたかったのだろうと。謎が謎として残ることで余韻にもなるのですが。

 

最後に

次のように考えさせられました。

人を愛するとはどういうことか、いやその前に人を好きになるとは?その前に人を知るとは?

読んで下さってありがとうございます。

映画を観て原作を読んでない方には原作をお勧めします。

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