キャイ~ンの天野君と1995年にタイとミャンマーの国境の橋の上で会った話(オチなし)

こんにちは ジャック・マイヨールです。
*嘘です。石ちゃんの真似しただけです。(マイウーの石ちゃん)
禁煙3日目で、、、、アタマがうまく働かない感じ。
なもので、何のプランもなく書き始めました。
あらかじめお断りしますが、この文章
読んでも 「それで・・・?」と言いたくなる文ですので、ご了解ください。
確か1995年のことです
確か1995年3月か4月のことだったと思います。
ということはもう21年前のことで、全ての記憶が曖昧で、どの単語にも「確か」とつけないといけない感じなのですが、面倒なので以下「確か」は省略します。
当時バンコクに住んでいた私はタイの最北部の町チェンライを訪れていました。
チェンライは有名なチェンマイより更に北、ラオス、ミャンマーと国境を接する所にあります。人口は…どのくらいでしょうか? とにかくタイ最北部の地方都市です。
Google Map によるとチェンライ県(市ではなく)の人口が120万とのことです。
White Temple (ワット・ロン・クン)という寺院が有名なようです。
チェンライの町から近いところにある
「ゴールデン・トライアングル」というメコン川をはさんで、ラオス、ミャンマーが見渡せる場所が観光地になっています。
ゴールデン・・・という言い方は多分かって麻薬の流通地であったことと関係あると思います。(…違っていたらスミマセン)
川とそのムコウを見ていると遠く中国の雲南省まで見えるような気がしました。
トライアングルは観光地なので、北部少数民族の恰好をした少女がいて、写真を撮らせて少額のお金を稼いでいました。こんな感じでした。↓
多くの観光客(欧米人が圧倒的に多かった)は一緒に記念写真を撮っていました。
国境の町 メ―サイ
陸路でタイからミャンマーに行ける場所は何か所かあると思いますが、
その中で、一番北にあるのがチェンライ県のメ―サイという町です、
私はメ―サイの国境検問所からミャンマーに入国しようと思い、検問所に向かう橋を渡っていました。
こんな橋です。記憶と同じようにボンヤリ画像です。
すると、橋の上の歩道に羽織袴を着た明らかに日本人で黒縁のメガネをかけた男性が立っていて、歩く人に向かって「サワディー・カップ」(こんちは)と言っていました。大きな扇子を持っていたと記憶してます。
キャイ~ンの天野君でした。
当時キャイ~ンはようやく名前が知られ始めたくらいだったと思います。
何故か私は知っていました。相方がウド君であることも知っていました。
(けっこうお笑いが好きなのです)
これはテレビ番組だなというのはピンと来ましたよ。じゃあ何故ウド君はいないんだろうと思いました。
そのへんを聞いてみようと思い、天野君に近づきました。
目の前に立ちました。
そしてあたりをきょろきょろと見まわしました。テレビ番組ならどこかにテレビカメラがあるかもしれないと思いました。それらしきものは見当たりません。
だけど声をかけるのは止めておきました。何となく。
いや、もしかしてカメラがどこかで回っているなら、映り込むのはイヤだなと思ったのです。
後で知ったのですがその番組はーー天野君とウド君が待ち合わせ場所を決めておいて、別々のルートでそこへ向かい無事会えるか?--みたいな番組だったようです。
で、先に着いた天野君が、ウド君が来るのを待っている状況でした。
そしてその回の「待ち合わせ場所」がどうもメ―サイの国境の橋の上だったようなのです。
実はその翌日だったと思うのですが、バンコクに戻るためチェンライ空港に行くと、同じくバンコクに戻るキャイ~ンの二人と同じ飛行機でした。
その飛行機の中で日本人の旅行者の女の子3人組が二人に話しかけ、サインなどもらっていました。それで会話も聞いたのですが「放送はいつなんですか?」「5月○日だよー。見てねー。」みたいな会話があってました。
時代背景を書いておきますと、例の「電波少年」の企画で猿岩石がタイに来るのはその翌年の1996年だと思います。
しかしここまで書いて思ったのですが
本当に1995年のことだったでしょうか?
1995年といえば
1月17日に阪神淡路大震災が起こっています。
そして同 3月20日には地下鉄サリン事件が起こりました。
どちらもタイに居て聞き、ニュースを見て驚いたことははっきり覚えています。ただ日本にいなかったせいで、今ひとつ現実感が薄かったことも覚えています。
そんな大きな2つの事件のあと、まだ間がない時期にそんなテレビ番組をやっていただろうかと思ったのですが、、、
日本のテレビは普通にやっていたと思います。天皇陛下崩御の際の自粛みたいなことはなかったと思います。
キャイ~ンの所属事務所で1995年のスケジュールを見てくれれば分かるんですが (^-^)
それでどうした?
えー、オチも何もありません。
で、写真でごまかしています。タイの情景です。
天野君と会ったあと、
検問所を抜けてミャンマーに入りました。
そのタイと何ら変わらない情景、国境の町の物売りの店などを見て、1時間ほどでタイ側に戻りました。たった1時間の外国滞在は、飛行機のトランジットを除けば、この時だけです。
それだけです。
あえて書くなら
あれからもう21年が経ったのかー。
ということだけです。
あの時25才だった天野君も46才になったということです。
40代だった私は60代になったという訳です。
それでは失礼します。