中村天風の言葉「まごころの強さ」「今日という日」

      2016/11/20

中村天風という人を知っていますか?

知ってる人は知っているが、知らない人は全然知らない人です。

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中村天風という人

そういう私も天風さんのことを知ったのは、つい最近のことですから、大きなことは言える立場ではありません。

しかし、そんな私にも一読するだけで、はっとするような言葉をたくさん残してあります。

私もそれを勉強するつもりで、ご紹介したいと思います。

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中村天風は明治9年~昭和43年に生きた人です。

西暦で言うと1876~1968年です。92歳で亡くなっています。

tempu-nakamura

とりあえず「日本初のヨーガ行者」という理解で結構です。

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「まごころの強さ」

 

 

要約(by 管理人)

何かをする時、見返りを期待するから、期待している反応が無いと失望する。

何も期待せず「まごころ」で行えば、どんな反応であっても、こころは平安である。

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中村天風の言葉 ↓

 

たとえば、ちょっと一杯のお茶を出すのでも、「ハイ」と返事をするような些細な行為でも、そのとき、何の報償をも念頭に置かずすなわちその人に気にいられようとか、あるいは、好感を持たせようとかいうような気持ではなく、そこに一点何も求めるものがなく、純一無雑な「こころ」でそれが行われる時、その行為から、形容できない温かいものを感じる、それはすなわち「まごころ」というもののもつ尊さの感応である。

と同時に、いま一つ理解しておくべき重要なことは「まごころ」で行われる行為には絶対的の強さというものがあるということである。
絶対的の強さのあるというのは、そもそもいかなる理由があるのかと言うと、要約すれば、「まごころ」という「心」の中には、期待というものがないから、当然失望というものが無いからである。

いうまでもなく、失望というものは、ある期待が裏切られたときに発生する相対的心理現象である。

報償を行為の対象とすると、その報償は、当然「期待」というものが付随するから、その報償が、期待通りであれば何らの失望は生じないが、そうでないと、すぐさま失望の気持ちが発生する。
すると期せずして、その行為にムラが出てくる。したがって当然その強さというものが、失われがちになるのである。

すなわち、これが何事をなすにも、報償を超越してなすべしと、力説するわけなのである。

(*下線は管理人)
出典:「ほんとうの心の力」PHP研究所

「まごころ」ですることは、報償(見返り)を期待してないので、失望することもない。

そのように出来る人の「こころ」はいつも安らかでしょうね。

 

今日という日

 

ふたたびは 来らんものを 今日の日は

ただ ほがらかに 活(い)きてぞ たのし

 

悲しくば あす悲しまめ 今日の日は

光うるおしく 吾れを 照らすを 

 

明日という日は、永久に来ないから、こう言ったのだ。

諸君は今夜寝て、起きれば、明日が来る、と思っているだろう。
寝て、覚めて、明日になってごらん。明日が今日になるから…。
だから明日という日は、日向の影法師と同じで、いくら追いかけても掴まらない。

だから、悲しくば明日悲しめばいい…。
明日悲しもうと思って、あくる日目が覚めると今日になるから、また明日になる…

 

                     出典:「ほんとうの心の力」PHP研究所

 

聖書にも次のような言葉がありますね。

マタイによる福音書・第6章
 明日のことを思いわずらうな、
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である

 

今日一日を生きる

明日のことを、今日心配することはない

明日のことは明日にまかせる——

 

*天風さんの心に響く言葉を紹介してゆきたいと思います。

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