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さらば村上春樹・「騎士団長殺し」を読んで、もうあなたの長編にお金を出して読もうとは思いません

 
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団塊世代ど真ん中です。 定年退職してからアルト・サックスを始めました。 プロのジャズサックス奏者に習っています。 (高校時代にブラスバンドでしたけど当時は自分の楽器を持っていませんでしたので、それっきりになりました) 主にジャズについて自由に書いています。 独断偏見お許しください。

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村上春樹「騎士団長殺し」を読み終えてだいぶ経ちます。

いったいあの小説は何だったんだろう」と頭の片隅でずっと考えていました。

〈はっきり言おう。〉

こんなつまらない村上春樹の長編小説は初めてだと思う。

「騎士団長殺し」のつまらなさ、退屈さ

「この小説はいったい何を言いたかったのだろう?」ということは過去の村上春樹の本でもよくあることでした。

「騎士団長殺し」に匹敵する長さの「ダンス・ダンス・ダンス」や「ねじまき鳥クロニクル」でも読み終えた時そう思いました。

しかし、その思いに余りある魅力を小説自体が持っていたと思うのです。

村上の小説の魅力の一つは、ディテールの面白さにありました。
ストーリー展開とは別に、例えば書かれている登場人物の言葉(せりふ)の面白さなどのことです。

またよく出てくる音楽の話、それがストーリ-と微妙にシンクロする面白さなどです。

今回の長編でも第1部では多少そういうところはありました。

(妻に「もうこれ以上あなたとは一緒に暮らせない」と言われ、家を出た主人公が車(赤いプジョー205)で北の国を放浪する場面や、そこで車のダッシュボードに入っていた、シェリル・クロウやMJQを聴くところなどです)

ーーこういう表現が村上らしさであることは、認める人が多いと思うのですが、まさにその点で非難もされていたのが村上小説だったと思います。
まるで、大衆小説、文学作品らしくない、軽薄・・・などと。

そこに村上春樹の試行錯誤と奮闘があったと想像します。

しかし、この「騎士団長殺し」では、そのような村上春樹らしさも不発です。まるで燃え残りの焚火のようにくすぶりますが、機能しません。
代わりになる「何か」があればいいのですが、それも見当たらないため、読者はフラストレーションを感じることになるのです。

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(長編での)前作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」で、まとまりのある(破綻のない)恋愛小説作品を作り上げることに成功していたと思うので、今回も期待したのですが、

失望しました。

第2部のつまらなさは特筆ものです。

長い間村上の小説を読んでいて「読み飛ばす」ということを初めてしました。

情景描写(風や木や空気のこと)などが、この先この小説に何の効果ももたらさないことが読んでいて分かるので、読むのが苦痛で(読む気がしない)、飛ばし読みしたのです。(こんなことは本当に初めてのことでした)

そしてその通りの結果でした。

第2部P81の「南京虐殺」の記述という大きな瑕疵(かし)もありました。

そのことは、既に別稿で書きました。

村上春樹「騎士団長殺し」の第2部での「南京虐殺」の記述は不適切だ

この件でシラケたことは間違いないのですが、たとえこの件を除いても、この長編が面白くないことに変わりはありません。

何が面白くないのかを書くことは大変難しいことです。

何が面白いかならいくらでも書けるのですが。

敢えて頑張って書くとすれば、この小説の主人公(一人称、名前なし)は何やらグルッと一周回ってもとのところに戻ってきて、オシマイと感じました。
 読む前と読み終わった後で何の情景の変化もありません。(いい小説を読むと情景が変わって見えます。いい映画を見たあとのように)
読み終えて何の感慨もありません。

退屈です。

過去の長編のように、最後まで読者を引っ張ってゆく力を感じません。

また、音楽とストーリーの連動という得意技もありませんでした。
(*過去の村上作品では、小説に出てきた音楽のCDが売れるという現象が起きていましたが、今回はそれもないでしょう)

登場人物がみな幽霊のように影が薄く、魅力のない人物でした。まず主人公がそうです。何の感情移入もできない男でした。
謎の男、免色も謎はいいのですが、読者を惹きつけるものを持っていません。

●それはお前の読解力がないからだ…と言われるなら、甘んじて受けます。

しかし一言だけ言わせて頂きます。

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今まで読んできた村上春樹の素晴らしい本

私はこれまで村上春樹の全小説を読んできました。全部が気に入ったわけではありませんが、それぞれどこかに長所を見つけて納得してきました。

どの本も読むことが楽しく、(理屈抜きで)再読したくなる本でした。

特に短編小説はどの短編も見事だったと思っています。

「村上春樹はこれまで日本の誰も書かなかった短編を書く」と感心してきました。

その気持ちは今も変わりません。

また小説ではありませんが、音楽について書かれたエッセイは村上春樹以外の誰がこんな文章を書けるだろう!というものが多く繰り返し読みました。

特に「ポートレイト・イン・ジャズ」はジャズについて書かれた最良の書だと思っています。

いや音楽だけではなく「若い読者のための短編小説案内」なども、優れた本だと思います。

また優れた翻訳作品も多数あります。(レイ・カーヴァー、フィッツジェラルドの翻訳など)

村上春樹という作家の作り出すものに驚きをもって注目してきた数十年でした。

もう村上春樹の長編にお金を出そうとは思わない

しかし、今回の失望が大きかったので、今後お金を出して新刊を読むということはしないでしょう。

短編集であれば、買うかもしれません。

また興味を持てるエッセイも買うかもしれません。

長編小説作家としての村上春樹には見切りをつけます。

しょせん村上春樹にドストエフスキーのような長編を書くことは不可能だったのです。
(*本人がいつかドストエフスキーのような小説を書きたいとどこかに書いていました)

蛇足的・追伸

今回の作品「南京事件」の記述無しでも、十分作品は成立し得たと思います。
日本画の大家、雨田具彦の自殺した弟という設定を無しにすればよかっただけです。むしろその方がスッキリしたと思います。

そこを村上春樹は(確信犯的に)敢えて書いています。書きたかったのでしょう。何故書きたいのか・・・?

村上春樹はこのような事柄を描くのは不得意だと思うのです。

イスラエル文学賞授賞式でのスピーチ【卵と壁のたとえ】も分かり易い(説得力のある)ものではありませんでした。

村上が(社会や政治的なことに)コミットメントしようとした時、それがスピーチにしろ作品にしろ、どうも上手くできない人だと感じます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

グッド・バイ 今までありがとう。村上春樹さん。

残念ですが、あなたの長編にお金を出して失望することはもう経験したくないのです。

しかし、過去の名作は不滅です。

このような↓素晴らしい(面白くて感動的な)文章を書くことが出来る人が、何故このような小説を書くことになるのか?

 

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