大瀧詠一:J・POPの基礎を作った男の経歴、代表作、SONGSでも特集

      2017/01/23

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NHK・ SONGS で大瀧詠一 特集がありました。

この番組は大きな反響があったようです。

番組では大瀧ゆかりのミュージシャン達が集まり

歌手としては鈴木雅之と薬師丸ひろ子が出演して歌いました。

 

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大瀧詠一(おおたきえいいち)

1948年7月26日生まれ 
(団塊の世代のど真ん中であることに注目です)

wikipedia の肩書には以下のように書いてあります。

シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、レコードレーベル・オーナー

大瀧詠一という人の音楽の軌跡をたどってみようと思います。

アメリカン・ポップス

小5の時に、コニー・フランシスの「カラーに口紅」を聴いて衝撃を受ける。

これです。↓

1959年6月ビルボード5位

それ以来アメリカン・ポップスにのめり込む。

◎特に傾倒したのが音楽プロデューサー、フィル・スペクターの仕事です。
フィルの音作りは「音の壁」Wall of Sound と呼ばれていました。

このことが後の大瀧のプライベート・レーベル「ナイアガラ・レコード」&「ナイアガラ・サウンド」(「音の滝」:大瀧の姓にも引っかけてあると思われる)に繋がっていきます。

そのフィルがプロデュースした代表曲ザ・ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」を聴きましょう。

1963年のヒット曲です。彼女らが一応黒人であることにも注目です。

大瀧は

ラジオを自作し、米軍極東放送(FEN)やニッポン放送の番組を聴くようになる。間もなくレコード収集を始め、エルヴィス・プレスリービーチ・ボーイズなどの音楽を分析的に聴くようになり、独自の研究を深める。
そのため、1962年夏から1966年までにチャートインした曲はすべて覚えているというほど精通している。洋楽面のみで語られがちだが、同時期には小林旭三橋美智也なども好んで聞いていた。特にクレージーキャッツ植木等が歌う「スーダラ節」には非常に影響を受けたという。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーWikipedia

この10代の経験で、アメリカン・ポップス及びポップスという音楽が骨の髄までしみ込んだようです。

*ちなみにザ・ビートルズが日本で初めてレコードをリリースしたのは1964年(東京オリンピックの年)春のことです。
「抱きしめたい/こいつ」(I Want To Hold Your Hand / This Boy)のシングル・レコード。

「はっぴいえんど」と「ナイアガラ・レコード」

 1970年伝説のバンド、はっぴいえんど を結成
メンバーは 松本隆、鈴木茂、細野晴臣、大瀧詠一
 
発表された以下の2枚のアルバムは一部の人たちの高い評価を得ました。
 
 
そして1974年、プライベート・レーベル・ナイアガラを設立。
 
フィル・スペクターの「音の壁」に対して「音の滝」を目指しました。
分厚いホーン・アンサンブルやバックコーラスを多用して、それまでの日本になかったサウンドをポップスの世界に導入することを始めたのです。
 
大瀧名義のファーストアルバムが「大瀧詠一/ファースト」(1972年)でした。
 
これを聴くと、ビートルズの影響も感じますが、それ以上にビーチ・ボーイズの影響を強く感じます。
手書きのライナーノートの最後に Dedicated to “P” とあります。
”P”は勿論フィル・スペクターですね!
(右のジャケットは松任谷由実の1980年作品〈Surf&Snow〉です。
ジャケット・デザインが大瀧へのオマージュになっています。)
 
●1976年の〈GO! GO! NIAGARA〉
 
この作品は大瀧の音楽の好みが最もストレートに表れた作品だと思います。
アメリカン・ポップスの影響と大瀧のユーモア感覚が素直に分かる大好きなアルバムです。 
 
 

実に豊穣な音世界ですね!
アメリカン・ポップス、ドゥーワップ、ビーチボーイズetc.が混然一体となって現れます。

このアルバムは全曲 
大瀧詠一/作詞・作曲 多羅尾伴内/編曲 です。
多羅尾伴内は勿論大瀧の変名です。

「趣味趣味音楽」での「趣味趣味→ジェニジェニ」なども大変楽しいものです。

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A Long Vacation と歌手への楽曲提供

 これまでの作品は一部の人には拍手を持って迎えられましたが、一般的な認知では物足りないものでした。
 
その大瀧がついに次のアルバムで全国区となりました。
1981年記念碑的アルバム、略称「ロンバケ」です。
 
 
特に1曲目「君は天然色」が大ヒットしました。

このアルバムからはもう1曲聴きましょう。「カナリア諸島にて」

◎このアルバムについて語る時、忘れてならないのは永井博(1947年生)によるジャケット・イラストです。
このイラストを見て感じるのは「アメリカ」または「アメリカン・ドリーム」、「夏」でしょう。

「アメリカの夢」を描いた3人衆・永井博、鈴木英人、わたせせいぞう については別に書きたいと思います。

こんなイラストのことです。↓

PORSCHEー
by EIJIN SUZUKI

●ロンバケのヒットとほぼ同じ時期から歌手への楽曲提供が始まります。

いずれも歌手の個性に合った素晴らしいものでした。

主なものを挙げます。

・松田聖子「風立ちぬ」

・森進一「冬のリヴィエラ」

・小林旭「熱き心に」

・薬師丸ひろ子「探偵物語」

・ラッツ・アンド・スター「Tシャツに口紅」
*このタイトルは一番初めに書いた「カラーに口紅」の影響でしょう。

「夢で逢えたら」

●ロンバケとは別に大瀧詠一の代表曲と呼ばれるのが「夢で逢えたら」です。

もともとは吉田美奈子のアルバムのために’76年に作られた曲でした。

その後シリア・ポールが歌い、

決定的に有名にしたのが、ラッツ・アンド・スターの’96年のカバーでした。(曲が出来て20年後)

◎曲のリンクは出来ないようです。

*女性ファンからの手紙に「あなたには悩みというものはないのですか?」とあったとwikiかどこかに書いてありました。
ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンが「海なんか大嫌い」だったのにあのような曲を書いた、というエピソードを思い出します。

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死後に出た2枚のアルバム

Best Always 

はっぴいえんど 時代からを含めた大瀧の2枚組ベスト盤。

 

このアルバムの大半は曲のリンクは出来ないようですので、ここでは竹内まりやのアメリカン・ポップスのカバー集〈Longtime Favorites〉に入っている1曲にします。
ナンシー&フランク・シナトラ親子のデュエットでヒットした曲〈Something Stupid〉「恋のひとこと」を竹内まりやと大瀧詠一のデュエットで聴きましょう。
 

こんなことが出来るのは、この二人が一番でしょうね。

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DEBUT AGAIN

こちらは死後、大瀧の自宅スタジオを整理していたスタッフが発見した、他の歌手に提供した楽曲のセルフ・カバー集です。

録音エンジニアでもあった大瀧は一人でこのようなものを作っていたのが、発見されたのです。 バックコーラスまで自分で歌い一人多重録音で曲を完成させていたというのは驚きです。

 

例えば以下の曲などが、素晴らしい出来です。

熱き心に (小林旭への提供曲)

Tシャツに口紅  (ラッツ&スターへの提供曲)

夏のリヴィエラ 〈Summer Night in Riviera〉

→森進一への提供曲「冬のリヴィエラ」を改題して、英語詩をつけたもの。

*リンクが出来ないようですので、何らかのかたちでお聞きになることをお勧めします。

 

*英語で歌われる「夏のリヴィエラ」の出だしの数小節を聴いた時にハッとしました。

高音域はそうでもないのですが、低音域はアメリカでヴェルヴェット・ヴォイスと呼ばれたロイ・オービソンの声に酷似しているのです。

それがどうしたと言われそうですが、私は感動しました!

 

Roy Orbison
1936-1988

NHK SONGS まとめ

さて、番組・SONGS に戻ります。
鈴木雅之と薬師丸ひろ子 でしたね。

 
 

 

●大瀧のレコーディング風景が紹介されました。

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ナイアガラ・サウンドを作るために、各楽器別録りではなく、いっせいに並べて一発録り。
しかも同じ楽器を何人も揃えて、音の厚みを増す。

●鈴木雅之の回想

「Tシャツに口紅」を歌う際に大瀧さんに言われたこと。

『アメリカンポップス、ドゥーワップ、ロックンロールが大好きということに拘っていたら、ただのオールディーズ・バンドで終わるからね』
鈴木はこの歌を歌うことによって、もうひとつステップ・アップするべきとアドバイスされていたと語る。

◎番組では残された大瀧の声と共演する形で、鈴木雅之、薬師丸ひろ子で「夢で逢えたら」を歌っていました。

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大瀧に関わるミュージシャン達の人脈の豊富さ。

山下達郎、佐野元春、松任谷由実、竹内まりや など多くのシンガーソングライター達への影響。

大瀧が日本のポップス・シーンに与えた影響はとんでもなく大きいものだったはずです。

もっと前の中村八大宮川泰などの作曲家、編曲家が日本の歌謡曲―ポップスの世界を世界に通用するレベルまでに引き上げた第1世代とすれば、
(この第1世代はアメリカのジャズの影響を受けています)

大瀧はそれをもっと個人的なレベルで、大衆にアピールする形にして、J・POPの世界を押し広げた先駆者だったと言えるのではないでしょうか。

その大瀧のエバーグリーンな曲は今のJ・POPに直接つながっている。

 

 

 

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