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アート・ペッパーの音楽と人生ーー何故日本で人気が高いのか?

 
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団塊世代ど真ん中です。 定年退職してからアルト・サックスを始めました。 プロのジャズサックス奏者に習っています。 (高校時代にブラスバンドでしたけど当時は自分の楽器を持っていませんでしたので、それっきりになりました) 主にジャズについて自由に書いています。 独断偏見お許しください。

↑日本公演での写真

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アート・ペッパーArt Pepper :アルトサックス奏者
1925年9月1日 – 1982年6月15日、56歳没)

その前期(1960年まで)の音楽 ⇨ について書きました。

 

それで、引き続き後期(1975年~82年)について書こうと、CDで聴き直していたのですが・・・なんかねぇ・・・疲れました。系統だてて書く気力が失せました。

いや、誤解してほしくないのですが、その演奏がつまらないなどということは全くありません。

ただ、後期のペッパーについては、アルバムを順番に紹介するというかたちは取らないことにします。

 

アート・ペッパーについて書かれたいくつかの文章を紹介しながら、

アートの音楽と人生について考え、いくつかの音楽を聴く構成にしたいと思います。

 

ウィンター・ムーン 

’80年作品 Winter Moon から That’s Love をまず聴きましょう。

ストリングスがついて、このタイトル、ジャケットだと一見イージーリスニング的な音楽かと思うのですが、 お聴きのようにペッパー、結構ハードに吹いていますね。前期では無かったコルトレーン・ライクな吹奏もしています。

参加メンバーも興味深いものです。

アート・ペッパー:アルトサックス&クラリネット
スタンリー・カウエル:ピアノ
ハワード・ロバーツー:ギター
セシル・マクビー:ベース
カール:バーネット:ドラムス

アート・ペッパーのサックスの魅力を言葉で表すのは難しいことです。

まるで東洋の墨絵のように、濃淡があって、そこには省略の美学もあるような気がします。
(音を全部吹かない、(筆がかすれるように)最後の音を吹かず飲み込んだりする)

そして、緩急自在なのです。スピードに乗って吹くときには吹きまくります。

 

優しさと激しさが同居するようなペッパーの音は、独特です

 

このアルバムは大好きなのでもう1曲かけさせて下さい。

冒頭の曲〈Our Song

 

何と美しい曲、演奏でしょうか!

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自伝「ストレート・ライフ」について

アート・ペッパーの自伝

この本、筆者は読んでいません(!)

読みたいと思っているのですが、ご覧のように絶版で、中古本でも高価なので手を出せないままなのです。(もうひとつ、読みたいような、読みたくないようなアンビバレントな気分もあります)

レビューを読んでも分かるのですが、ミュージシャンの自伝でここまで赤裸々なものはないと読んだ人はみんな言ってあります。女性やセックスのことから麻薬のことまで、全てを書いているようです。
私はペッパーの音楽を聴くだけで十分だという気分もどこかにあります。

しかし、特に麻薬問題はペッパーの音楽を聴く上で、避けられない問題ではあります。

ところで、この自伝のタイトル「ストレート・ライフ」は自伝のタイトルとしてぴったりということで採用されたのでしょうが、前期で紹介しましたアルバム「Aret Pepper Meets The Rythem Section」の中で演奏されている曲名でもあります。

また’79年のアルバム〈Straight Life〉のアルバム・タイトルにもなっています。

アルバム ストレートライフ

その’79年のストレート・ライフを聴きましょう。

 

トミー・フラナガン:ピアノ
レッド・ミッチェル:ベース
ビリー・ヒギンズ:ドラムス
という名手を揃えたワン・ホーン・アルバムです。

このアルバムからはもう1曲、〈Nature Boy〉も聴きたいと思います。

ペッパーのアルトが泣いています。

アート・ペッパーの音楽ーードン・デマイケル、村上春樹の見解など

今4曲をアップしましたが、その奏法が前期とは随分変わってきていることに気づかれたかと思います。

後期の音楽で一番特徴的なことはコルトレーンの影響でしょうか。

 

◎前期の最後に〈Intensity〉(’60)というアルバムを紹介しました。

そのアルバムの日本語ライナーノートに次のようなドン・デマイケルの文章が載っていました。

ウエスト・コースト派と呼ばれてひとまとめにされているミュージシャン達の中で、ペッパーに関してはこう言えるだろう。
彼はこのインテンシティに関して、自分の感じるエモーションを完全に表現できない(苛立ちの)ため、彼自身と聴く者を炎で焼き尽くしているようにも見える。

このアルバムが出た当時このような評価を書く人は余りいなかったと思います。

これはAmazonでのペッパーの(前期)アルバムに対するレビューで読んだのですが、「軽快なペッパーの音はBGMとして聞くのにぴったり」というのがありました。
これを読んだ時には、さすがに「それはないよなー」と筆者は思ったのですが、まあ、このような聞き方をしている人もいたようです。

ドン・デマイケルの上記のペッパー解釈とは大違いですね。

もう一人ペッパーの音楽の本質を書いた人がいました。村上春樹です。
著書「ポートレイト・イン・ジャズ」で村上はペッパーを「片翼の堕天使」と呼びこう書いています。

そこには一貫して、ほとんど自傷的と言っていいほどの苛立ちがある。
「俺はこんな音を出しているけれど、俺が本当に出したいのは、これじゃないんだ」と、彼は我々に向かって切々と訴えかけている。彼の演奏には、それがどんなに見事な演奏であったとしても、ソロが終わった直後に、楽器をそのまま壁にたたきつけてしまいそうな雰囲気がある。
(中略)
彼は一人の誠実な堕天使として、自らの身を削って音楽を創り出していたのだ。

村上春樹が手放しで賞賛するスタン・ゲッツ(同じ白人ジャズミュージシャン、サックス奏者、麻薬癖)とは随分異なる評価です。

ドン・デマイケルと村上春樹に共通して出てくる言葉は「自傷」と「苛立ち」です。

まあ、音楽を聴く時にどう聴こうと聴く人の勝手ですから、別に上の二人のように聴いて欲しいものだ、とは言いませんが、

少なくとも

筆者が感じるペッパーの音楽は、「自らの身を削る」ようにして創られた切実な音楽だということです。

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日本でのペッパーの人気ーーそして初来日公演の時のこと

上に書いたような音楽性をペッパーが持っていたとすれば、(こう書くとアメリカの人に悪いのですが)アメリカで大衆的な人気を得るには似つかわしくない音楽でしょう。

ジャズという音楽に潜む 哀愁 をことのほか愛するのが日本人でした。

ペッパーの初来日は1977年のことでした。それ以前は麻薬耽溺、逮捕、投獄、更正施設とどれほど人気があっても来日公演などあり得ませんでした。

77年もカル・ジェイダー・グループのゲストという形でした。
それでもペッパーが日本で演奏できるとは(ペッパー自身を含めて)誰も信じていませんでした。
それというのも日本の当局は麻薬問題に厳しく、麻薬の前歴のあるジャズやロックのミュージシャンの入国拒否が続いて起きていたからです。

実際に77年4月1日(!)に郵便貯金ホールのステージに立った時のことを、ペッパーは先の「自伝」の中でこう書いているそうです。

僕はのろのろとマイクに向かって歩き始めた。
僕の姿が見えるや、観客席から拍手と歓声がわき上がった。
マイクに行き着くまでの間に拍手は一段と高まっていった。
僕はマイクの前に立ちつくした。
おじぎをし拍手のおさまるのを待った。
少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。
何とも言えないすばらしい思いに浸っていた。あんなことは初めてだった。
あとでローリー(ペッパーの3番目の妻)に聞いたが、彼女は客席にいて観客の暖かな愛をひしひしと感じ、子供のように泣いてしまったという。

僕の期待は裏切られなかったのだ。
日本は僕を裏切らなかった。
本当に僕は受け入れられたのだ。
やっと報われたのだろうか。そうかも知れない。
たとえ何であったにしろ、その瞬間、今までの、過去の苦しみがすべて報われたのだ。

生きていてよかった、と僕は思った。

ーーTOKYO DEBUT/Art Pepper の佐藤秀樹氏ライナーノートより引用

↑このライブ・レコーディングは初日のものではなく(初日はレコーディングされていない)
4月5日の演奏です。(演奏自体は5日がベストだったと、慰めるように(?)佐藤秀樹氏は書いています)

アルバム 「TODAY」

このアルバムから 〈Lover Come Back to Me〉

 

Art Pepper (as)
Stanley Cowell (p)
Cecil McBee (b)
Roy Haynes (ds)

Among Friends 「再会」

Among Friends (’78)というかっての僚友であったピアノのラス・フリーマンやドラムのフランク・バトラーと一緒にやったアルバムが好きです。

その中で〈Blue Bossa〉もやっていましたので、アップします。

 

まとめ

長い療養から復帰した後1975年以降のアートペッパーの録音について書こうとしましたが、1枚毎のアルバムについて書いてゆくことは難しかったです。

後期アルバムで一番好きなのは、最初に紹介した Winter Moon かもしれません。

◎紹介したかったその他の後期ペッパーのアルバム ⇩ ⇩

*これは何時削除されるかわかりませが、ペッパーの幻のアルバム〈Art LivesーAmazonにもありません)から〈Thank You BLUES〉です。

 

不思議なもので、ほぼ同じ歳で没したチェット・ベイカーなどは晩年のヨレヨレになった作品も味わいとして聞けるのですが、アート・ペッパーの場合は最晩年の作品には痛々しくて聞く事ができないものもあります。何故なのか?どこに違いがあるのか?その理由を詮索する気力は残っていません^^  おそらく個性と生き方の違い、、、チェットという人の飄々とした生き方のせいだと思います。

アートとチェットーー前期で紹介しましたように、その二人がウエスト・コーストを代表するジャズメンとして共演したこと、また二人ともハンサムで有名だったことなどを思い浮かべると感慨もひとしおです。

アート・ペッパー

 

アート・ペッパー

Art Pepper in 1979 photographer: Nathan Callahan photographer_location: Southern California, USA photographer_taken:July 18, 1979

 

チェット・ベイカー

 

チェット・ベイカー

 

(*特記なき3枚の写真はPublic Domain=open in media view)

 

それにしても、白人ジャズメンの大物たち(スタン・ゲッツ、ジェリー・マリガン、ビル・エヴァンズ、チェット・ベイカーそしてアート・ペッパーなど)揃いも揃って、黒人ジャズメン以上に麻薬の力から離れることが困難だったようです。

最後まで読んでくださってありがとうございました

 

*アート・ペッパーに触れたその他の記事は以下です。

アート・ペッパーの音楽:前期 ⇨

アルトサックス ⇨ では、シンプルにペッパーを紹介しました。

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